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友人の死


 今回のひとりごとは題名からもわかるように、重いです。
 ブルーな話はちょっと、という方は、読み飛ばしていただいて結構です。

 先日深夜に母から電話があり「ケンゴ君(仮名)お亡くなりになったみたい」と告げられました。

 「ケンゴ君」とは中学校から高校まで一緒だった友人で、もうかれこれ18年は会ってないと思います。

 新聞のお悔やみの欄を見ていた母が、偶然見つけたとのことで連絡を受けたのですが、どうにも実感がわかず、何かの間違いではないか、同姓同名の別人ではないかと、卒業アルバムの住所などを調べてみたのですが、やはりその「ケンゴ君」だったのです。

 18年も音信不通で、それを友人というのかと聞かれると、一般論で言うとどんなのかよくわかりませんが、私にとっては忘れることのできない大事な友人でした。

 身長が高く、スポーツ万能、成績優秀、男前で、竹を割ったような性格、さぞかし女性にもてたことでしょう、という彼は例えるならヒマワリのような男で。
 身長が低く、運動音痴、一般人のモブに消えてしまいそうなくらい平凡な顔、地味で、インドア、病弱で浮いた話の一つもない私は例えるなら月見草(過剰評価)のような男。

 野村監督が長嶋さんをどのように思っていたかは知りませんが、言ってしまえば彼は私にとっての理想の男性像だったわけです。
 注意:ホモではありません

 そんな正反対、対極にいる私たちが、何となくうまがあったのは、全く正反対だったからこそなのかもしれません。

 彼と出会ったのは確か中学2年生のときでした。
 当時ソ連(まだ冷戦時代でロシアでなかった)のイルクーツク市への親善使節団という大層な名前で中学2年生の男女が14人、ソ連に送り込まれ、ピオニールキャンプとかいうものに参加して、20日ほど地元の子供たちと過ごすという、結構ハードな催しがあり、私と彼はそのメンバーの一員でした(ちなみに先月のひとりごと「マミちゃん」もそのメンバーの一人でした)。
 
 この20日間のソ連合宿に向け、約半年間の準備期間として、ロシア語の勉強や、ロシア民謡、日本民謡、盆踊り、フォークダンス、獅子舞、ソーラン節など様々な謎めいたスキルを詰め込まれるのですが、これは夜遅くに学校に集まって行われ、その苦楽を分かち合った14人に関しては、今でも単なる友人ではなく、「同志」としての思い入れがあるのです。

 蛇足ですが、いまだに私はロシア語でカチューシャが歌えますし、各種フォークダンスが条件反射のように踊れます。

 彼とはそのピオニールキャンプ以来の付き合いで、高校を卒業するまで、何となくいつもそばにいるという関係が続いていました。
 
 三度の飯よりサッカーが好きという男でした。
 中学時代は学校にサッカー部がなく、お兄さんの勧めとやらで、ボールに触れる部活動をやっておくべきだと、バスケ部に所属していました。
 
 サッカーまでの準備期間として始めたバスケも、中途半端にすることはなく、当たり前のようにバスケ部のエースとなり、全国大会のかなりいいとこまで進み、いろいろな学校からスカウトが来ていました。

 そんなスカウトなどどこ吹く風、普通に勉強して、私がやっとやっとで受かった進学校にしれっと合格し、当たり前のようにサッカー部に入部しました。

 かっこいい!!
 漫画の主人公みたい!

 もちろん陰でめちゃめちゃ努力していたのでしょうが、そんなところはおくびにも出さず、しれっとやっちゃうとこがかっこいいじゃないですか。

 いつだったか、「バスケ続けないの?もったいなくない?」と聞いたときに
 「やりたいのはサッカーだから」と、当たり前のように彼は答えました。

 文武両道なところも、男前なところも、その他もろもろあこがれるのですが、自分のやりたいことに素直で一直線なところは、「惚れてまうやろー!!(時期外れ)」という感じです。
 注意:ホモではありません。

 大学進学時に「ケンゴは大学行ったらどうするの?」と聞いたら、やはり当たり前のように
 「サッカーする。いつかサッカーで食えるといいのにな。」と笑っていました。

 まだJリーグも発足してなかった頃ですから、現実的にはなかなか厳しいことだったのかもしれませんが、でも彼ならなんとかするんじゃないかという気がして
「そっかー」とだけ答えました。

 逆に彼から「沖田はどうするの?」と聞かれたので、胸を張って答えました
 「獣医学科に行く。獣医師になりたいんだ。」と。
 彼は驚いた顔もせずに「そっかー」とだけ答えてくれました。

 当時まだ、「獣医師」という職業がさほどかっこよくも、メジャーでもなかった頃、友人や親戚の中には眉をひそめる人すらいたその時分に、彼は「そっかー」とだけ答えてくれました。

 「何で獣医師?」とか「人間の医者じゃダメなの?」とかではなく、ただただ当たり前のように「そっかー」と

 それは興味がないという風でもなく、かといって根掘り葉掘り聞いてくるでもなく、それが私にとっての夢なんだろうなという、簡単な肯定の返事だったと思います。
 そして彼がそんな感じで返事をしてくれるのが、わかっていたような気もします。

 何気ない会話だったのですが、今でも鮮明に覚えています。

 私のようにしょっちゅう風邪をひいて、寝込むような人間ではなく、あんなに頑丈そうな男がどうして、とため息を漏らさずにはいられません。

 そろそろ一度14人を集めて同窓会でもしなければと思っていたのに、私がまごまごしているうちに一人欠けてしまいました。

 この年で彼が最初にいなくなるといったい誰が想像したでしょう。

 いちばん長生きしそうな風邪ひとつひきそうもない男なのに…

 遠く離れていても、何年会わなくても、ずっと変わらぬ友人でいられると勝手に思い込んでいました。
 久しぶりに会っても、あの屈託のない笑顔を向けてくれると信じていました。

 まだ、きちんと理解しきれてないのかもしれませんが、もう彼の笑顔は見れないという喪失感は漠然と押し寄せてきます。

 何となく石川県と彼のフルネームをネットで検索してみたら、数年前に高校や大学のサッカー公式記録が出てきました。
 そのどれを見ても主審として彼の名前が挙がっていました。

 ああいうのは、学校の先生か何かがやるものなんですかね?
 もしかして石川のどこかの学校で教師をしながら、サッカー部のコーチとかやってたのかなと勝手に想像しています。

 何年も実家に帰らず、連絡も取らず、葬式にすら間に合わなかった薄情な友人ですが、この数日毎日のように彼のことを思っています。

 お前を見習って、やりたいことをやってるよ、と一言いう機会が欲しかったです。


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