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アレス動物医療センター

イスカンダルよりちょっと向こう

 獣医師と名乗り始めてそろそろ10年くらいになるのでしょうが,まだまだ力量不足を痛感せざるを得ないときがあります。
 もうちょっとどうにかして上げられたのではないかとか,別の先生なら助けて上げられたのではないかと思い悩むこともあります。
 O型のわりに,結構デリケートなほうなのです。

 先日交通事故で担ぎこまれてきた猫がいました。
 肺に重度の損傷があり,またかなり重度の骨盤骨折も併発していました。

 骨盤骨折は必ずしもすべてが手術をしなければいけないというわけではないのですが,形の変形が大きい場合や,骨盤の中でも股関節(足の骨と骨盤とが連結する関節)に大きな損傷がある場合は,手術をするべきというのがひとつの指標です。

 ちょっと意外かもしれませんが,骨盤骨折は治療(手術)しなくても,将来的には歩けるようになることがほとんどなのです。
 ただ,折れ方によっては将来便秘になる可能性が高くなったり,あるいは歩けるけれども関節炎になって,一生痛い思いをしながら生きていかなければならないこともあるのです。
 問題の足だけでなく,それをかばって他方の手足にも関節炎がおき,寝たきりになってしまう子もいます。
 あるいは骨盤がゆがんで排便しにくくなり,毎週のように浣腸をしてあげないと生きていけなくなってしまう子もいます。

 その猫は骨盤骨折の中でもかなり重度のもので,股関節も激しく損傷し,将来関節炎になってしまうのは目に見えていました。

 急いで手術してあげたいところでしたが,肺の状態が悪く,手術が出来る状態まで持っていくのにかなり時間を要し,骨盤の手術は完全に肺が治ってからという予定でいました。

 まだ生まれて半年もたっていない猫だったので,関節炎になってしまったら,残りの十数年を関節痛の苦痛に耐えながら生きていかなければいけない。
 そう思うと気持ちはあせるのですが,結局手術が可能な全身状態になるのに10日間かかってしまいました。
 
 そして,飼い主さんから,恐れていた言葉を聞く羽目になってしまったのです。

 「手術をやめたい」と

 事故から10日もたつと,だいぶ猫も元気になってきて,よたよたとですが歩けるようになってきます。
 日に日に元気になっていく猫を見て,飼い主さんは「本当は手術なんて必要ないんじゃないか?」と思い始めてしまったのです。

 もちろん手術をしなくても,いつかは歩き始めることは伝えてありましたし,これは歩けるようにするための手術ではなく,将来起こる関節炎を防ぐための手術だということも説明してありました。
 飼い主さんもその話を聞いているときは,納得している風でしたが,実際元気になり始めた猫を見て,その気持ちが揺らぎ始めてしまったのかもしれません。

 説得を試みてはみましたが,「別の病院で相談したら,手術しない方針にしようという話になったので・・・」と,飼い主さんの意志は固く,その気持ちを引き戻すことは出来ませんでした。

 その猫は手術のチャンスを逃し,まだ若いのに,生涯関節炎と戦っていかなければいけない運命を背負うことになってしまったのです。

 これは飼い主さんが悪いのか?というとけしてそうではありません。

 純粋に私の力量不足によるものです。

 誰だって,大事なわが子にメスを入れるのは抵抗があります。
 出来ることなら手術をしたくないと思うのは,当然のことです。
 ましてや即命にかかわる病気の手術ではなく,数年後に起こる関節炎や便秘を防ぐための手術なのですから,一般の飼い主さんがぴんと来ないのはしょうがないことです。

 その骨折を放置することにより,どんな苦痛が将来猫に訪れ,それによりどれだけの問題が出るのかは,我々経験をつんだ獣医師で無ければ分かるはずがなく,ぴんと来ないその将来の問題を,きちんと理解できるように説明するのが何よりも大事な私の仕事だったはずなのです。

 10日間もの間,飼い主さんと会話を交わしていながら,手術の必要性を理解させてあげられなかったのは,説明能力の低さを意味します。
 そして「あの先生がそこまで手術を必要というのなら,よほど大事な手術なのだろう」と,思っていただけるだけの,信頼を得られなかったのも,まだまだ未熟だなーと思うのです。

 どれだけ手術の腕を磨こうが,手術に自信があろうが,その手術にまで飼い主さんを導いてあげられなければ,まったく意味が無いのです。

 十分なコミュニケーション,分かりやすい説明,信頼を得られる人間性。
 そのどれが欠けても,まだまだ一人前の獣医師とは言えず,自分が思い描く理想の獣医師像は,はるか彼方イスカンダルより,もうちょっと向こうの辺りにあるようです。

 数年後関節炎の痛みに耐えながら気丈に歩く猫の姿を想像すると,涙が出そうになってしまいます(最近年のせいか,涙腺がゆるいです)。
 その原因を作ったのが自分の力不足故と思うと,その重責に押しつぶされてしまいそうになります。

 願わくば,あの子の関節炎が少しでも進行しないように,あの子が少しでも苦痛無くすごせますように・・・。

 ・・・獣医師が神頼みをしはじめたら,おしまいですね。



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