うさぎの「うっ滞」という言葉はいつか消えてなくなるのかもしれません。
僕の好きな落語家さんで桂枝雀という方がいて、もうお亡くなりになっているのですが、とにかく大好きな落語家さんです。
この枝雀さんの落語の枕に(本題のネタに入る前のつかみのようなものです)
「分かる」というのは「分けられる」ということです。
というくだりがあります。
それこそ何百年も前の医学が発達していないころは、誰かが病気になって倒れてしまっても、それが癌なのか、肺炎なのか、伝染病なのか、老衰なのかも分からない。
区別できるだけの医学がなく、「病死」だったり「老衰」だったり、場合によっては「たたり」だったりで片づけられたわけです。
それがいろいろな検査が確立され、細菌やカビやウイルスの存在がわかり、あるいは医学的な知識が発展して、この病気とこの病気は違うと「分けられる(区別できる)」ようになったというのが「分かる(理解できる)」ということである。
「風邪」と「肺炎」を分けられる。
肺炎の中でも「細菌性」と「ウイルス性」と「アレルギー性」を分けられる。
ウイルス性でも「インフルエンザウイルス」と「コロナウイルス」を分けられる。
と、分けられる(区別できる)=分かる(理解できる)ようになった、というくだりなのです。
落語の枕としては、ずいぶん堅い内容にも思えますが、なぜか記憶に強く残っています。
先日エキゾチック学会のセミナーがzoomで開催され、その中である先生が質問として
「うさぎの胃のうっ滞の時には先生方はステロイド剤(痛み止め)を使いますか?」という発言をされました。
この質問は主催者側の先生の発言で、おそらく純粋に知りたいというよりは率先して質問をして、そのような(質問をしてよいという)空気を作るためにあえてされた発言だと思うのですが、その質問に対し講演者の先生にスイッチが入ってしまいました。
「私は『うさぎの胃のうっ滞』という表現があまり良いと思いません。
本当は異物だったり、毛球だったり、腫瘍だったりとそれぞれ理由があって、それを一括りに『うっ滞』と表現するのは、好ましくない。
それぞれの原因をはっきりさせ、きちんと原因に見合った治療をする。
いつか『うさぎの胃のうっ滞』という表現はなくなるかもしれない。
あるいはなくなるべきだ。」
というような趣旨のお話だったと思います。
この発言をされた先生は僕が最も尊敬する先生の1人で、僕の師匠の先輩にあたる超大御所の先生です。
あまりに遠い存在の先生なので、何年追いかけてもたどり着けない領域の先生ですが、どこか師匠に似ているところもあって、あこがれ続けている先生です。
数年前に一緒にお食事をさせていただいた時にも、これと全く同じ話題がその場に出て、その先生が同様のことを熱く語ってらっしゃったので、
「あ、これはスイッチが入るな」と思っていたら、案の定スイッチが入ってしまいました。
師匠のまだ先輩にあたる歳の方ですから、還暦は超えてらっしゃるはずですが、このうさぎの診療にかける熱い思いがまったく衰えない姿に、感動とそしてその「らしさ」に嬉しくなってしまいました。
で、その時ふと思い出したのが枝雀さんの枕です。
「分かる」というのは「分けられる」ということ
うさぎは何らかの食欲不振が24時間続けば、胃腸の動きが止まり、胃の内容物が発酵してガスが貯まってくる。
この瞬間をレントゲン撮影すれば確かにこれは「胃のうっ滞」という表現になるのかもしれないけれど、その大元の原因は毛球症かもしれないし、不正咬合かもしれないし、クロストリジウム腸症かもしれないし、消化管内異物かもしれないし、温度や湿度によるストレスかもしれないし、腎不全かもしれないし…
と、すごくたくさんの可能性があるわけです。
「胃のうっ滞」と「毛球症」を分けられる
「胃のうっ滞」と「不正咬合」を分けられる
「胃のうっ滞」と「クロストリジウム腸症」を分けられる
「胃のうっ滞」と「消化管内異物」を分けられる
こうやってたくさんの病気を「分けられる(分かる)」ようになれば、もっとたくさんのうさぎを助けることができるのではないでしょうか。
すべての胃のうっ滞につながる病気を区別できて、いつか「胃のうっ滞」という病名がなくなる日が来ればと思いますし、その日が来るよう精進し続けなければいけないとも思います。
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