どうして「闘病」って言うんだろう。
「闘う」というから勝ち負けがつく。
とは最近ドはまりした「ミステリーと〇う勿れ」という漫画の一節です。
題名がここまで長いと一字伏せたくらいじゃどうにもならないですが…。
ガツンと来ましたね。
日頃インフォームドコンセントの時に言葉のチョイスはかなり気を付けているつもりでしたが、ドキッとした内容でした。
漫画のストーリーは各々読んでいただくにして(素晴らしい漫画ですので)、その部分をもう少し触れると
どうして「闘病」って言うんだろう。
「闘う」というから勝ち負けがつく
「病には勝てず」「病気に負けて」「闘病の末力尽きて」
どうして亡くなった人を鞭打つ言葉を無神経に使うんだろう
負けたから死ぬのか。
勝とうと思えば勝てたのに、努力が足りず負けたから死ぬのか。
そんなことはない。
勝ち負けがあるとしたらお医者さんとか、医療です。
その時点の医療が負けるんです。
患者本人が負けるわけではない。
と続きます。
ああなるほどと思います。
しっくりきます。
毎日患者さんの治療に携わり、力不足で助けてあげられず、その子の死と、その飼い主さんの悲しみに向き合うシチュエーションは多々あるのですが、この文章はすとんと腑に落ちます。
飼い主さんはすごく一生懸命看病され、動物たちは時に苦い薬を飲み、時に怖い獣医師に点滴をされ、何か月、場合によっては何年も病院に通い。
それでも天に召されてしまうことはあるのです。
飼い主さんは看病の手を抜いていたのか?
動物たちが生きるための努力を怠ったのか?
そんなことはないのです。
ただ私なり、現代の獣医学なりが負けただけなのです。
「私=現代の獣医学」というのは語弊がありますので、おおむね私のせいで負けただけなのです。
漠然とそんなことを思いながら、この仕事を20年以上続けていて、とても分かりやすい、しっくりくる言葉を得たと思いました。
ごくまれに頑張らなに飼い主さんもいますが、それは価値観の違いだったり、私がうまく飼い主さんのやる気を引き出せなかった(あるいは維持できなかった)だけで、少なくとも動物たちが生に対して努力不足であったということは一度もありません。
皆飼い主さんたちとの幸せな生活を守るためなのか、あるいはただひたすらに生に対する本能なのか、いずれにせよ一生懸命闘ってくれます。
いいえ、「闘う」ではなく努力してくれています。
ただその努力や飼い主さんたちの思いに、私が応えきれなかっただけなのです。
今まで「闘病の末…」なんて言ってなかったかと、心配になってしまいました。
とりあえず今後は言わないように気をつけます。
そして何より、私が病気との闘いに負けないよう(勝ち続けるのが無理でもできるだけ勝ち越せるよう)努力し続けなければいけないのです。
現代の獣医学の負けはしょうがないですが、私の負けはやはり許されないのだと思います。
「私=現代の獣医学」は無理でも
「私≒現代の獣医学」くらいにはなってないとまずいのです。
ちなみにこの漫画でもう一つ、同じくらいずっしり胸に突き刺さったのが、次のシーン。
妊娠中の奥さんに対し「でもオレ、ゴミ捨てとかはしてるんですよ。少しは手伝ってるって感謝してほしいわー。」と胸を張る旦那さんに主人公が言う言葉
ゴミ捨てってどこからですか?
お宅にゴミ箱いくつありますか?
ゴミ捨てって、家じゅうのごみを集めるところから始まるんですよ。
分別できてなかったらして、袋を取り換えて。
生ゴミも水切って、ついでに排水口の掃除もして、ゴミ袋の在庫があるかチェックして。
そうやってやっと一つにまとめるんですよ。
できたヤツを持ってくだけで感謝しろって言われても…
ぐはっ!!
ね、しみるでしょ!?
世の旦那が「ぐはっ」て言ってる気がします。
素晴らしい漫画です。
少女漫画ですが、ぜひ世の男性の方も読んでいただきたいですね。
え?今回のひとりごとってどういう趣旨って?
いやつまり、私は人生の大切なことはみな漫画から教わったって、話ですよ。
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