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アレス動物医療センター

チビ子ちゃんとお母さん

2016/3/31

 先日チビ子ちゃん(仮名)という猫が救急患者として搬送されてきました。
 立つこともできず、意識レベルも低く、誰が見ても危険な状態なのは明らかでした。

 チビ子ちゃんは外に出る猫で、吐物にピンク色の人工物が混ざっており、中毒の可能性が強く疑われました。
 チビ子ちゃんを連れてきたお母さんは真っ青になり、状態の厳しさをお伝えすると、涙を流していました。

 チビ子ちゃんはもともと持病もあり、主治医の先生のところでずっと治療を受けていた猫であり、そもそも体が丈夫なわけでもなかったのです。
 横たわったまま、遊泳運動を繰り返す(寝た状態で、まるで泳ぐように手足をバタバタさせる)チビ子ちゃんを診ながら、復活の可能性の低さを考えずにいられませんでした。

 とことん戦っても治らないかもしれない。
 それどころか明日の朝を迎えられるのかも怪しい。
 生き残ったとしても重篤な後遺症が残るかもしれない。
 もし長期の入院になれば、治療費もかなりかかる。

 お母さんにそお伝えしたところ、「それでもやっぱり治療してあげてください」と言ってくれました。

 お母さんは毎日お見舞いに来てくれました。
 翌日も、翌々日も、チビ子ちゃんの意識は戻りません。
 戻っているのかもしれませんが、ただ横たわり、遊泳運動を繰り返すだけで、お母さんのことがわかっているのかすらよくわからない状態でした。

 入院して3日目にお母さんに次の治療に進むかを打診しました。

 3日間治療して、ほとんど改善が認められない。
 これは長期戦になる。
 これ以上は点滴だけでは体力的に持たない。
 改善する余地があったとしても、そこまでに衰弱死してしまう。
 点滴だけでなく、食道カテーテルをつけて強制給餌をしないともたない。
 これで流動食を入れながら、長期戦を戦う準備をしたい。
 ただ、復活するという保証はない。
 途中で事切れてしまう可能性も十分ある。
 チューブを付けてまでは、とおっしゃる飼い主様もいる。
 どこまでやるかは飼い主さんの価値観。
 病院で一人寂しく活かせるのは耐えられない、あとは連れて帰りたいとおっしゃったとしても、それを悪いとは思わない。
 そんな厳しい説明をさせていただきました。

 お母さんは涙をポロポロ流しながら、その日は帰って行かれました。
 その表情を見て内心、明日で治療を辞めたいとおっしゃるかもしれないと思いました。

 ところがお母さんは治療を続けたいと言ってくれました。
 出来るだけのことはしてあげたいと。

 チビ子ちゃんはさらに3日間入院を継続し、食道カテーテルで流動食を入れ、点滴がなくとも生命が維持できる状態にまで頑張ってくれました。
 退院し、自宅療養が出来る状態にはなりました。
 しかし症状は変わっていません。
 
 入院から7日間、退院の日のチビ子ちゃんは、やはり変わらず横たわったままで、ずっと遊泳運動を繰り返すだけです。
 飼い主さんはそんなチビ子ちゃんを愛おしそうに抱き上げ、何度もお礼を言いながら帰って行かれました。

 まだまだ治療は半ばで、お家で1日5回も流動食を入れ、薬を飲ませ、床ずれにならないようケアしと、大変な日々が続きます。
 そんな大変さを顔に出さず、帰って行かれました。
 
 そして今日、お母さんから電話がかかってきました。
 4日前から便をしてないのですが、連れて行ったほうが良いでしょうか?と
 一度診せてくださいとお願いしたところ、1時間も経たずにお母さんはやって来ました。

 他の診察を終え、チビちゃんとお母さんの待つ診察室に向かうと、看護師さんたちが診察室の中をガラス越しに覗きこみ、他の患者さんたちがまだ待合室にいるにもかかわらず、大きな声で騒いでいるのです。

 なんだろうと一緒に診察室を除くと、チビ子ちゃんが診察室の中を自力でウロウロ歩いているのです。

 「え!?こんな状態なの!?」と驚いて診察室に入って行くと、お母さんが
 「そうなんです。歩けるようになったんです。私嬉しくて、嬉しくて・・・」と

 もちろんまだまだ治療は途中です。
 まだ自力で食べれるかもチャレンジしなければいけないでしょうし、それが出来るまではチューブも抜けません。
 チビ子ちゃんはまだ後遺症が残り、首を右に傾け、右方向にばかり回っています。
 これが後遺症なく治るかも、まだわかりません。

 でも、自分の意志でしっかり歩いているのです(そして診察室から出ていこうとするのです)。

 「この子はすごいですね」
 「お母さんも、ほんとうによく頑張りましたね。
 何度も心が折れてもおかしくないタイミングがあったのに、ほんとうによく我慢されましたね。
 お母さんが諦めなかったから、この子は助かったんですね」

 お世辞でなく、素直にそう口に出ました。
 「諦めなくて本当に良かったですね」と
 
 正直びっくりしました。
 いつか改善する日が来るかもしれないと、かすかな希望は持っていましたが、入院して1週間、改善らしい改善がなかったチビ子ちゃんが、こんな姿で戻ってくるとは全く想像もしていませんでした。

 「本当にありがとうございました。」と何度も頭を下げ、お母さんは帰って行きました。
 また3日後に来院される予定です。
 まだまだ治療は続きます。

 でも、こんな晴れやかな気分になったのは、何時ぶりでしょうか。

 こんなことがあるのだな、と久しぶりに実感しました。
 これだからこの仕事はやめられない、とも思いました。

 皆が皆こんな奇跡のような改善を得られるわけではありません。
 チビ子ちゃんが自力で歩くようになる可能性を、私は退院の時に10%くらいと思いました。
 0ではない。
 でも10%という可能性にかけるのは大変なことです。
 口で言うほど簡単なことではありません。

 でもチビ子ちゃんとお母さんはこの10%の奇跡を手にしたのです。
 たった10%の可能性。
 しかしお母さんが諦めてしまったら0%だった可能性です。

 私はちびこちゃんと、お母さんに出会えたことに、とても幸せを感じます。
 チビ子ちゃんとお母さんにとっては動物病院など来なくてすめばそれに越したことはないでしょうし、獣医師なんかと出会わなくてすむなら、それに越したことはないのでしょう。
 それでも私はそう思ってしまうのです。

 良い患者さん、良い飼い主さんに出会えるのは、獣医師にとって何事にも代えがたい幸せなのです。
「あきらめないでいてくれて、本当にありがとうございました。」
 そう思うのです。 


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