先日交通事故の夜間救急搬入があり、そのとき意外な方と再会しました。
サブちゃんのお母さんです。
サブちゃんのお母さんといっても、北島○郎さんのお母様ではなく(あたりまえ)、以前うちの病院に通院されていたシェルティのサブちゃんの飼い主さん、通称「サブちゃんのお母さん」です。
通称といっても、うちの病院の中だけで通用する言葉で、本来○○さんとお呼びすべきなのでしょうが、いつの間にかスタッフの中でこのような呼び名にクラスチェンジすることがあります。
本当にペットを大切に大切に育て、わが子のように愛し、大きな病気になってもあきらめずに最後まで一緒に戦い続ける飼い主さんを、私たちは「○○ちゃんのお母さん」と呼ぶようになります(場合によっては○○ちゃんのお父さん(←とても少ない)」)。
別にそういう決まりではなく、誰から言いはじめるわけでもなく、自然にそのように呼ぶようになっていくので、その飼い主さんの雰囲気なのか、あるいはやはりペットに接する対応なのか、気がつくとそんな呼び方に変わっていることが多いです。
「私だって、このこのお母さんよ!」と思われるかもしれませんが、日ごろ診療をしていると、ねだられればなんでも我がままを聞いてあげたくなる、「おばあちゃん」あるいは「おじいちゃん」的な、愛し方をしている方が多く、その子のために一緒に苦楽をともにし、一緒に我慢をしてくれる「お母さん」的な飼い主さんは意外と少ないのです。
サブちゃんとお会いしたのは3年前、重度の肝不全で瀕死の状態でやってきて、その後飼い主さんの必死の看病と、サブちゃんのがんばりで、元気に復活してくれました。
しかし、完治したわけではなく、その後もずっと食事療法や通院、検査が続き、飼い主さんもサブちゃんも、本当に最後まで良く戦ってくれました。
しかし昨年9月にとうとう天に召されてしまいました。
確か14歳だったと思うので、シェルティとしては長生きな方なのかも知れませんが、何歳まで生きれば満足がいくというものではなく、飼い主さんがサブちゃんを失ったときの心の痛みは、私たちが想像できるものではないと思います。
この3年間も、けして楽な道のりではなかったと思います。
私が言うのもなんですが、その治療費や医療食の費用も、けして安くはなかったと思います。
最後にお会いしてから約半年、正直こんなに早く再会するとは思っても見ませんでした。
サブちゃんのお母さんが病院に飛び込んできて、その後続くように足を引きづったラブらドールが病院に入ってきました。
「ラブラドール飼ってましたっけ?」と聞くと、
「いえ近所のワンちゃんで・・・」と、そのあと本当の飼い主さんらしき方々が病院に入ってこられました。
どうも事故の現場に立ち会われて、夜中にもかかわらず、付き添いで来られたようです。
そのとき病院に入ってきてサブちゃんのお母さんがおっしゃった言葉にジンと胸が熱くなりました。
「うちのサブはここの先生に危ないところを助けてもらったの」と。
泣けるセリフじゃないですか。
横に事故にあったラブラドールがいなかったら、目頭を押さえてしまいそうな言葉です。
だってそうでしょう?
3年前に肝不全で担ぎ込まれてきたとき治療をしたのは私ですが、3年経って治してあげられず見取ったのも私なのです。
「助けた先生」という見方もできますが、「助けることができなかった先生」という見方だってできるわけです。
でもサブちゃんのお母さんのなかでは、私は「助けた先生」という印象で覚えていてもらえたのです。
獣医師冥利に尽きるじゃないですか。
おまけのような扱いで申し訳ないのですが、ラブラドールさんは特に大きな異常もなく、そのまま自分で歩いて帰宅していきました。
たくさんの患者さんを診ていけば、当たり前ですが皆さん歳をとり、いつかはそれを見取らねばいけないときも来ます。
もちろん私のことを「助けることができなかった先生」という印象で覚えてらっしゃる方もいることでしょう。
でもそれは、私の技術や、飼い主さんへのケアが足りないからこそ、そう思われるわけで、それはやはり私の至らなさなのです。
生涯獣医師としてのスキルアップに努めなければいけないのはもちろんですが、一人でも多くの飼い主さんに「○○ちゃんを助けた先生」と思ってもらえるような、そんな獣医師になりたいですね。
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